ワールドカップ2022観戦記(総評的レビュー)

カタール・ワールドカップが終わって2週間近く、もう2022年が終わってしまう。レビュー雑誌も続々出版されているが、今大会の私的レビューをもう少し続ける。

今大会は、面白いワールドカップだった。個人的には、全64試合(リアルタイム観戦ができるのは56試合)中、52試合をリアルタイムで観戦できて、試合の時間帯はきつかったが、W杯を満喫できたということもある。

 「メッシのW杯」と称されるようになったカタール大会だが、メッシだけではなく多くの試合を見ていくことで、選手一人ひとりのドラマを奥深く知ることができた感じがする。「サッカーの内容は凡庸だった」と評したブラジルの評論家もいたが、近年の大会と比しても、むしろ全体のレベルが上がっていると評するべきだろう。面白かった理由でもあり、今大会で印象に残ったことは以下の通り。

①VARのおかげで、誤審が少なかった。試合結果を変えるような決定的な誤審はなかったことで、理不尽な思いが残ることはなかった。サッカーにそうした過ちはつきものと言っても、誤審に泣かされたチーム、その国のサポーターはやりきれない。

VARに文句を言っている人もたくさんいたが、VARがなければ、日本はドイツ戦の前半終了間際に線審の大誤審で2点目を取られていたし、三笘の1mmは認められていなかったかもしれない(この時線審はフラッグを上げていなかったようであるが)。

誤審に左右されず、結果に納得がいくことは、スポーツを楽しむうえで重要なことだと改めて感じた大会だった。

③ゴールがたくさん入った。今大会の172得点は、1998年、2014年の171を抜き、新記録。なお、ロシア大会以来、VARによりPKを認められる数が増えてきている傾向にあり、PKでの得点も多い。エリア内の守備側の反則を見逃さない、ということはより攻撃的なサッカーを見ることができるという意味で歓迎だ。ただ、カタール大会では、PKの成功率が下がっている。これは優れたGKがいたこととGK自体の技術が上がっていることによるのかもしれない。

 オフサイドの増加もVAR導入が大きな要因と言えるが、同時に、高いディフェンス・ラインを引くチームが多かったことももう一つの理由か。アルゼンチン対サウジアラビア戦はその典型だった。

③いわゆる番狂わせ、ジャイアント・キリングが多く見られた。弱いと目されたチームが勝つのを見るのは痛快である。今回開催国カタール以外のPod1の国がPod3,4の国に負けたのは、予選リーグで6試合(ただし、ブラジルとフランスはメンバーを落としていたが、それでもやはり番狂わせだ。)もあった。地域間の格差が狭まったのであろうか。なお、ドイツ(Pod2)対日本(Pod3)は、番狂わせであっても、もはやジャイアント・キリングではない。2大会連続で決勝T進出を逃し、ユーロでも早期敗退したドイツは瞬間的かもしれないが、大国の地位から転落しつつある。

「サッカーは22人が90分間ボールを追い続け、最後はドイツが勝つゲーム(byリネカー)」は過去の名言で、今大会では「サッカーは32人(各チーム交代枠5人+1人)が105分+35分(アディショナルタイムを入れる)ボールを追い続け、最後はPK戦で勝負がつく競技」に変わった。

④アジア・アフリカ勢の活躍とユーロ・セントリズムへの違和感。

 上記③の結果、日本をはじめアジア勢が3チーム、アフリカ勢が2チームが決勝トーナメントに進出し、モロッコはベスト4まで勝ち進んだ。

 フットボール界全体を覆うユーロ・セントリズム(欧州中心主義)に違和感を持っているので、欧州の国とそれ以外が戦うときはだいたいそれ以外の方を応援していた。

 サッカーだけではなく、カタールの人権問題や差別の問題で上から目線で非難する欧州諸国の態度にもうさん臭さを感じた。そうした問題に関しカタールを擁護するわけではないが、予め自分たちをモラル・ハイグラウンドに置いて、大会の期間中にことさら批判の声を高めるヨーロッパにはカタール以外のアジア。中東の多くの国の反感を買っていたように思える。試合中にレインボー色の腕章を巻こうとし(FIFAの警告に屈して諦めた)、試合前の写真撮影で口を覆うポーズをとったドイツ代表(日本に負けた後は止めた)についても、政治的意見はピッチの外で表明すれば良いだろうに、と思わざるを得なかった。

スポーツと政治は当然無縁ではありえない。しかし、スポーツが政治に利用されないように、できるだけこれを切り離す努力が行われ、ルールが作られてきた。それを自分が考える正義のためにやっているからいいのだ、と言わんばかりの態度には共感しがたい。差別をなくすように努めることはむろん重要だが、彼らの態度表明のあり方の中に、既に上から目線の差別意識を感じた、というのはうがち過ぎだろうか。