COP15の後で

 コペンハーゲンのCOP15は、混乱と対立に包まれ、睡眠不足と徹夜で終わりました。
 すっかり消耗して、帰ってきました。帰って3日くらいは元気にしていたのですが、風邪で木、金と休んでしまいました。COP風邪ですね。会議期間中には、代表団の中でインフルエンザでもはやりはしないかと本気で心配していたのですが、幸い無事でした。日本に帰って、ほっとしたのでしょうか。おかげで5連休にしてしまいましたが、ネット・サーフィンをするくらいで、身体を休めて無為に過ごす羽目になりました。

 COP15については、日本でも様々な報道がなされましたが、何となくツボを押さえたというか、的を射た記事は少なかったような気がします。コペンハーゲン合意は、過大評価も過小評価もすべきではないと思います。決裂を避け得たと言うことはプラスでしたが、重要なことは来年の交渉に先送りされました。来年も混乱と対立に特徴付けられるこうした交渉が続くと考えると、正直げんなりしますが、戦略を練り直してまだまだ頑張らないと。

 日本は、「存在感を示せなかった」というステレオタイプの評価も目立ちましたが、「存在感」云々は、具体的な評価が書けないときの決まり文句です。w COP15では、日本が本来持っているだけの存在感はあったように思えましたが・・・、所詮、存在感などと言うのはとても主観的な言葉です。
 気候変動の問題は、まず世界全体の温室効果ガスの21%を排出し、これからますます排出を増やす中国の問題です。経済成長を最優先する現在の中国にとっては譲れない一線があるのでしょうが、中国は最後の一線と思われるところの遙か前に戦線を張って、戦いました。
 中国は他の途上国と「G77+中国」、というグループを形成しました。G77の中の小さな途上国と中国とは、本当は立場も利害も大きく違うのですが、それが同じグループとして意見を一つにして交渉に臨んだのです。このことが、交渉を停滞させる大きな要因の一つになりました。来年の交渉は、各国が地球全体の利益を考えて、とまではいかなくとも、せめてそれぞれの真の利益を代表した意見が出せるようになればいいのですが。
 「20世紀は、世界がロシア(ソ連)とどうつきあっていくのか、という世紀だったが、21世紀は世界が中国とどうつきあっていくのかが最大の問題になる世紀だ」という言い方があります。日本の基本的な考え方は、中国を国際社会のルールに則って行動する責任あるプレーヤーにさせるというところにあります。気候変動は、この命題が当てはまる典型的な事例と言えるでしょう。