盤上に自由はなかったのか

梅田望夫さんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/modernshogi/20090817にある井口記者の観戦記、河口七段のコメントに強い違和感を抱き、さらには梅田さん自身の感想にも若干の違和感を持った。
エントリーは、92年の甲子園、星陵松井の5打席連続敬遠事件から始まり、こうつながる。
「日本に住んでいた最後に観た名人戦は、1994年の米長邦雄羽生善治が挑戦した名人戦だった(詳しくは「シリコンパレーから将棋を観る」第五章)。そして翌1995年の名人戦は羽生名人の初防衛戦。挑戦者に森下卓八段を迎え、3勝1敗と森下を追い込んだ第五局、先手羽生名人は、▲7六歩△8四歩に▲2六歩と突いた。
そしてそれを、観戦記者・井口昭夫はこう激しく批判したのだった。
『(羽生の) 頭の中は恐らくこれまでの四局を振り返っているのだろう。そして出した結論は? 三手目▲2六歩でやはり矢倉を避けた。甲子園で四球攻めにあった松井。』
羽生の三手目▲2六歩は、その三年前に大批判を受けた「明徳義塾松井秀喜五打席連続敬遠作戦」と同等の扱いを受けたのだ。しかも主催紙・毎日新聞の観戦記というオフィシャルな場で。森下得意の矢倉を受けないのと、五打席連続敬遠作戦は全く異質のものである。2009年のいま、現代の将棋ファンの誰もが、信じられないという思いを抱くのではなかろうか。」

 井口昭夫記者は著名な観戦記者だが、この文章に時代を反映する重要性があるとは思えない。井口記者は、何らかのわけがあって森下八段を応援している、主催社・一将棋ファンとしてタイトル戦が5局で終わって欲しくない、矢倉戦が見たい、(それぞれはそれなりに理由があるし、批判するまでには及ばない)といった感情を持っていたのかもしれないが、それはどれも実現しなかった。そのことをとても残念に思った井口記者は、主観丸出しの文章を思わず観戦記に綴ったのだろう。この一文は、将棋を「わかって」客観的に書いたとはとても思えないし、観戦記に現れた井口記者の意見?(名人が矢倉を避けたことは松井敬遠と同じくらい批判されるべきことだ)が95年時点で主流だったとか、意味を持ったとは到底思えない。さらに、甲子園における松井と名人戦での森下八段も全く比較の対象にならない。(松井敬遠事件も言及したいが拡散するのでやめておく)
 もっとも、主観丸出しの観戦記が面白くない、良くないかというとそうでもなくて、観戦記に対局の客観的な分析以上のものを求めるのであれば、観戦記者の個性や主観が色濃く出る方が面白いともいえる。井口記者のこの文章が面白いとは言えないが。
仮に、この記事が95年当時に「盤上の自由がなかった」一つの証左として考えているのだとすれば、梅田さんは、井口記者の文章を過大評価している。
 次に紹介されるのは、井口昭夫将棋観戦記という本の解説における河口七段のコメントだ。
「またまた今の棋士は、という言い方になるが、昨今の将棋は、大ポカが少ない代りにど肝を抜くような手も出ない。人真似とか調べ済みといった手ばかり指しているから、見る者に感動を与えることができない。時代が変り、棋士気質も変った、と嘆いて済む問題ではないと思うのだが。」
この文章に至っては、『昔は良かった』、『今の将棋は理解できない』、すなわち将棋の進歩を認めたくないといったような態度以上のものは何も語っていないようにしか見えない。(全文を読まないで、一部の引用だけからの解釈だから公正さを欠いているかもしれないが)
 むろん河口七段には観戦歴も棋力も遠く及ばないが、私も40年以上将棋を観てきているし、それ以前の観戦記もかなり読んでいる。河口七段が言う「昔と昨今」をそれぞれいつの時代に想定しているのかわからないが、将棋の常識をひっくり返すような新戦法は、90年代半ばから頻出するようになったと思う。藤井システム、8五飛車戦法、ゴキゲン中飛車をある意味での嚆矢とする一連の角交換振り飛車戦法、孤高(追随者がいないだけ?(笑))の新手を披露する佐藤康光九段の新戦法。こうした新手、新戦法は、将棋ファンを確かに感動させてきたと思う。昔(河口七段が最も健筆をふるった80年代までと時期を一応設定しておく)に人を驚かせ、感動させる、そういう戦法、手がなかったわけではむろんないが、出現頻度は遙かに高まっているだろう。
 調べ済みの手が多くなったのは、将棋の研究の質、濃度が高まったからであって、サボっていてもプロ棋士としての経験で何とかなった時代ではなくなったということだと思う。アマ、プロを問わず、将棋愛好者の心を動かす盤上の一手は、今も昔も、思いつきの一手ではなく、従来の常識を覆しつつも十分な読みに裏付けされた「あり得ないと思っていたけれど、成り立っている!手」だ。
それとも、河口七段が嘆いているのは、一般のアマチュア愛好者には目に触れることの少ない低段者の将棋なのか。
 むしろ、将棋界で昔と違うなと思うのは、盤外の人間くさいやりとりが少ない(あるいはあまり外に出てこなくなった)ことだろう。超一流棋士が昔以上に優等生に見えたり、仙人みたいな感じに見える。渡辺竜王は意識してやんちゃなところを外に出そうとしているようにも見えるが。将棋界の盤外のエンターテインメント性について言えば、昔の方が高かったかもしれない。私も、上質のコメントだけではなく、時には卑俗でもいいからもっと面白いコメントを棋士から聞きたい気もする。しかし、これは将棋の内容とは直接関係のない話だ。
 健全な批評精神を失ったように見える河口七段のコメントから受けるのは「河口さんも昔は面白かったのにな。」という皮肉めいた印象だ。

 結論めいたものを書けば、盤上には昔も今も常に自由があった。盤外の「掟」は昔も今も、違う形でではあるが、あるのだろう。
 一方で、盤上には先入観があった。わかりやすい例を一つあげれば、振り飛車は角交換を避けよ、といった考えだ。盤外からのプレッシャーや盤外の掟に由来する先入観も大いにあったかもしれない。研究と対局を通じて、そうした先入観から少しずつ自由になろうとする(それは将棋の『真理』に少しでも近づく、と言い換えても良いかもしれない)努力を行ってきたのが、羽生世代を中心とする現代の棋士だろう。
 また、今将棋がこの世で一番強くて、将棋について一番影響力のあるであろう羽生さんには、盤上に自由がなかったなどと軽々に言ってほしくないという気持ちもある。盤外からのプレッシャーに対局者は無縁ではないのは当然だ。羽生名人も若い頃は、盤外のプレッシャーを今よりも強く受け、それを受け止めるのに困難を感じたことだろう。本人が回想するように、米長名人に挑戦した時の世間の空気は羽生に逆風だったろう。そのうちに羽生名人は、実績、経験などで、そうした不純な?圧力を乗り越えるすべを身につけていったのだと思う。
 ただ、盤上に自由がないと言うことは、「自分の指したい手が指せない」ということだ。90年代の羽生さんは、盤上で自分の指したい手が指せない、と感じていたのだろうか?そうではなくて、まだまだ盤外からの圧力が気になったり、先入観からなかなか自由になれなかったと言うことではないのか。

(ここで、「シリコンバレーから将棋を観る」を読み直すと、
「しかし、羽生が問題視していたのは、将棋界に存在していた、日本の村社会にも共通する、独特の年功を重んずる伝統や暗黙のルールが、盤上の自由を妨げていたことだった」(29p)とある。
 今、私が書いていることと大差ないような気もするが、どこかちょっと違う気がする・・。)

 梅田さんがブログで
『15年前の若き羽生善治がいったい将棋界の何と戦っていたのか、そして彼がその戦いに勝ち、この15年で将棋界をどう変えたのか、』
と書くと、羽生名人が将棋界の空気に抗って、戦っていたような感じを受けるが、本当にそうなのだろうか。もし、そうした戦いがあったとしても、少なくとも羽生がタイトルを次々に奪取していった時点で勝負はとっくについていたのだろう。
 梅田さんは羽生名人と何度も話し合っているから、羽生名人について深く理解しているのだろうが、将棋界の変化に関連して羽生名人の「戦い」と書くことに違和感がある。羽生名人はもちろん対局という戦いを戦ってきたが、梅田さんが書いている文脈で羽生名人が行ってきたことは「戦い」と言うより「真理の追究」に近い気がする。
 ただ、盤上の先入観はまだまだ残っていると思う。だから、私は「シリコンバレーから将棋を観る」の中の羽生名人の予測と違って、あっと驚くような新戦法、すなわち先入観を覆すような戦法がまだまだ将棋に残されていると予測している。