河井継之助を訪ねる旅

8月26〜28日、南会津の只見、小千谷、長岡などを巡ってきました。旅のテーマは、幕末の越後長岡藩河井継之助の足跡を訪ねるということ。司馬遼太郎の小説『峠』の主人公です。
 まず、継之助終焉の地、会津塩沢を訪ね、記念館を訪問。ローカル線只見線会津塩沢に向かいましたが、最近只見線は鉄道ファンに人気があるようで、結構な乗客数でした。会津塩沢駅無人駅で回りには何もないところ。塩沢は、今は静かに水をたたえる湖畔の地です。駅から500mくらいの処に記念館があり、終焉の家は、既にダムの水底に沈んでいますが、記念館に移築されています。
 その晩は、只見の旅館に泊まりましたが、旅館の主人が継之助ファンだったようで、継之助の好物といわれる桜飯(刻んだ味噌大根をごはんに混ぜる)をいただきました。
 翌日は、小千谷に向かい、官軍の軍監・岩村精一郎との談判の場になった慈眼寺へ。ここは、中越地震で大変な被害にあったそうです。談判の場は立派に復元されていました。さらに、長岡に向かい、長岡市内の河井継之助旧邸跡に立つ記念館を訪問。長岡は、山本五十六などの人材を輩出しており、記念公園などを見物。その晩は、やはり地震で壊滅的な打撃に会い、復興した蓬平温泉に泊。
 28日は、長岡郊外の悠久山公園に行き、資料館や継之助の碑などを見て、駅付近に戻って如是蔵博物館にも行き、最後は継之助ら北越戊辰戦争に倒れた長岡藩士が眠る栄涼寺を訪ねて、継之助を訪ねる旅は終了。
 長い間、行きたかった旅を実現できて、良かった。強い感慨を覚えた旅でした。

写真:ガトリング砲は、当時日本に3台しかなく、そのうち2台が長岡藩の河井が購入した。
写真:『民は国の本、吏は民の雇』 西洋の言葉を河井継之助が書いた軸。公務員は、心しないと。