五輪招致投票とIOC

 2016年のオリンピックはリオデジャネイロ開催に決まりました。開催を決める投票を報じるメディアの論調や事前の予測報道を見ていて、2つの候補都市(マドリードと東京)にいて、誘致活動をフォローしていた者から見るとかなり違和感を覚える記事が多かった気がします。
 IOCのこの投票は、国際機関などの選挙と違って、国の投票ではなくIOC委員個人の投票であり、非合理的・非論理的な投票行動がよく起こります。東京には大義がなかったとか、理念が不十分だとか評するのは、後でくっつけた理屈の類のように思えます。
 リオが南米大陸で初めてだったのは、非常に有利な要素でした。建前とは言ってもオリンピックの普遍性を掲げるIOCにとっては、このことは決定的な意味を持っていました。南米初めて、というのは、理念や大義と言うより「事実」だったと思いますが。
 他方、東京は、国内支持が4都市の中で一番低かった、それもかなり低かったというのが、敗因の一つであることは間違いないでしょう。
 東京が最下位でなくて良かったと、というのは、私を含めてかなりの人の心境かもしれません。
 まあ、結果が決まったので、リオにはおめでとうを言いたいし、リオで良いオリンピックを開催して欲しいですね。