写楽展

5月22日、東京国立博物館で開催中の写楽展に行ってきました。わずか1年足らずの間に140余点の作品を残して突如消えた写楽。日本人なら教科書だけではなく、いろいろなところで写楽の作品はどこかで見ているはずです。今回は、日本はもとより世界から141点(142点のはずが1点震災の影響のため来なくなっていました)の作品を集めた展覧会です。このような展覧会はもうなかなか開催できないのではないでしょうか。版画ですから、同じ作品が何点か残っている場合もあるという事情もありますが、これだけの作品を集めることは大変だったでしょう。
我々がよく知る写楽の傑作は、ほとんどがそのデビュー作にあたるような初期の作品で、写楽は10か月の間作風を変えていきますが、後期になるにつれて、作品は力を失っていきます。謎の登場と退場、写楽の正体については様々な説が展開されてきました。阿波の能役者・斎藤十郎兵衛が写楽だということがこれまでの研究で定説とされていますが、異説を唱える人はまだたくさんいるようです。
写楽北斎などの浮世絵が、西洋絵画、特に印象派以降の画家たちに強い影響を得たことはよく知られていますが、作品を見ていくうちにその理由がわかるような気がしました。
19世紀後半から20世紀への西洋絵画の歴史は、『あるがままに描く』、から『見えるように描く』、さらには『(画家が)見たいみたいように描く』への変化の歴史ではなかったか、と思っています。写楽は、極端なデフォルメとも思えるような表現を通じ、あるがままではなく、見たいように描いて、鑑賞するものに強い印象を残しています。後期の作品がそうした極端な表現を失って、平凡なものになっていくのは見るのは、不思議な経験です。自分が見たいように、描きたいように表現した浮世絵に、ヨーロッパの画家たちは大きなインスピレーションを得たのではないでしょうか。もっとも19世紀に高い評価を得ていたのは写楽より、北斎歌麿だったようですが・・・。