フェルメールの連荘(3連荘?)

7月13日は、お休みをいただいて上野の山に美術展を2つ見に行きました。
一つはベルリン国立博物館展、もう一つはマウスリッツハイス美術館展でした。
どちらも目玉はフェルメール。前者には『真珠の首飾りの少女』、後者には『真珠の耳飾りの少女青いターバンの少女)』と『ディアナとニンフたち』。(『ディアナとニンフたち』はフェルメール作でないという説もあり)
フェルメールは、近年世界中で人気が高まっていますが、特に日本の人気は非常に高いです。

作品自体の評価もさることながら、全作品でも三十数点しか残っておらず、全作品踏破も不可能ではないと思わせるところが人をひきつけるのかもしれません。実際は盗難に遭った作品や個人蔵作品があり、全作品を見るというのは不可能に近いかもしれません。今年はフェルメールの6作品が来日し、さらに「フェルメール光の王国展」というフェルメールの全作品をリ・クリエイトで見るという展覧会も行われています。(光の王国店で展示されているリ・クリエイト作品は単なるレプリカ以上の迫真性がありました。何より全作品を見たという感じに(錯覚ですが)なります。)

さて、上野の2つの美術展のうち、西洋美術館でのベルリン国立博物館展の方は、平日ということもあり特に行列もできていませんでしたが、都美術館のマウスリッツハイス美術館展の方は入館に10分の行列、さらに『真珠の耳飾りの少女』の前にはさらに長い列。2000年に大阪までフェルメール展を見に行って以来の再会です。
首飾りの少女も傑作の誉れ高いですが、耳飾りの少女の方はフェルメール作品の中でも最も有名で、人気のある作品ですから、その差が出たかな・・・。
真珠の首飾りの少女』について今更私が分析することもないですが、改めて感じることは時代の中で超越している、そのモチーフの独自性です---つまり、似たような作品が同時代にないということ。
暗闇に浮かぶ美少女のトローニー(特定の人物を描いた肖像画ではなく、人物を自由に描いた絵画)は、同時代の作家にほとんど類似作品を思い出せません。
画家の天才性は、技巧よりそのモチーフ、テーマの独自性にありというのが私の考えなのですが、そういう点からも『真珠の耳飾りの少女』はやはり非常に印象深い作品です。