イラク復興支援の意味を想う

 今週イラクの電力省の人たちが円借款事業の関係で訪日していました。そのうちの一人マフディさんはイラク戦争が始まった時のイラク中央配電所の所長でした。バグダッドが陥落したあと、日本は、イラク復興支援の一環として中央配電所のリハビリを支援しました。

 中央配電所の支援のために現地で文字通り奔走したのが、バグダッドの奥参事官(当時)でした。勿論奥参事官は数多くの案件を実施に移したのですが、中央配電所の案件は復興支援の比較的初期の案件だったので、東京での担当者だった私も良く覚えています。奥参事官は、中央配電所に何度も足を運んだようでした。2003年の初夏、中央配電所への支援が決定しました。
 2003年11月末、ティクリート郊外で奥参事官は井ノ上書記官、イラク人の運転手とともにテロリストに殺害されました。7年近くの時が既に流れました。

 今回訪日した元の中央配電所長は、「奥さんには本当にお世話になった、感謝の気持ちを捧げたい」と、とても忙しい日程の中でこの木曜日にJICAの課長の案内で奥大使のお墓を参りに行ったのです。彼は、お墓に参った後、[中央配電所の復興が如何にイラクのために役立ったか、奥さんが如何にイラクのために尽力してくれたか」を感謝する手紙とお花を奥大使のご遺族に託しました。

 支援から7年が立って、イラクの人が「心から感謝しています」と言い、わざわざお墓までお参りしてその感謝の心を表わしてくれたということは、如何に彼(奥参事官)がイラクの人とともに働き、イラクの人の心を打つような活動を行っていたかが、わかります。私は胸が熱くなりました。
 電力省のマフディさんは昨28日にイラクに帰国しました。私自身はマフディさんに会う機会がなかったのですが、マフディさんは、また日本に来る機会があれば是非私にも会いたいと言っていたそうです。