書評 「解明:将棋伝来の『謎』」 松岡信行著

書評原稿であるが、ここにも載せておく。

私は、将棋を指し、将棋を世界に広める活動をしながら、将棋の起源に常に関心を有していた。古代インドのチャトランガが、西に至ってはチェスになり、東に至っては中国象棋シャンチー)やタイのマークルックとなり・・・。しかし、日本にはどのように伝来したのだろうか。相当数の将棋史に関する本を読んだが決定的な説には出会っていない。いずれにせよ、中国か南方(東南アジア)から将棋の原型が日本にわたってきて、日本の将棋は成立したのではないか、という考えを持っていた。であるから、この本の著者である松岡信行氏(将棋を世界に広める会理事)から「将棋は日本で独自に生まれたのだ」との説を最初に聞いた時は、失礼ながらトンデモな荒唐無稽説かと思ってしまった。
しかし、本書を読むと、そうした印象は吹き飛んでしまう。著者は、世界の各種将棋の特質についての幅広く触れ、将棋史の先行研究を丁寧に分析し、多くの史料を読み解いて、一つ一つ論理を積み重ね、結論にたどり着こうとする。
著者はまず、日本の将棋が中国や南方から伝わってきたものでないことの証明を試みる。中国伝来あるいは東南アジア伝来であるとすれば、様々な矛盾点、説明できない点が出てくると説く。先行研究や将棋に関する資料のみならず、東アジアの歴史をも検討しつつ、伝来説を否定する。こうした著者の松岡氏の手法はロジカルで、十分説得的である。
伝来説が否定されれば、将棋の起源は謎に包まれるが、ここで著者は「日本国内で外国のゲームの情報をもとに独自にゲームが創作された」という仮説(著者の言葉では「シナリオ」)を立てる。一見突拍子もないもない仮説のようであるが、この仮説の前提となる中国の伝奇物語集「玄怪録」の中の「岑順」という作品が紹介されると、確かに日本人が独自に創作したということは十分あり得ると思えてくる。(人類の歴史においてゲームは伝来してきたものばかりではなく、誰かが創作したものも数多く存在する、いやむしろその方が多いのだ。日本将棋もそうであるとの可能性も当然ある。)
さらに、将棋の起源を探る最重要資料といってよい、藤原行成著とされる「麒麟抄」に出てくる「駒字の書き方」をめぐる解釈と分析においては著者の真骨頂が示される。その真偽について様々な議論のある麒麟抄の評価について著者の分析はフェアであり、特に「しょうぎ」の漢字表記について膨大な資料を年代順に分析し、「将碁」という麒麟抄における表記の重要な意味を指摘する。
著者の仮説は、様々な史料や将棋の性質と矛盾なく成立しているし、著者のいう将棋をめぐる多くの「謎」についても信憑性のある回答を用意することができている。
なお、将棋の創作年代の絞り込みについては、ややアバウトであると思える。著者の論からすれば将棋の発祥は1000〜1027年の間であることは証明できるが、1012~1017年、あるいは1010年台と断定する根拠は著者の推測によるところが大きい。むろん著者の推測は正しいかもしれず、またそうでなくても著者の将棋発祥説をなんら損なうものではない。
また、「おわりに」の項における①平安小将棋のルール、②発祥当初からの持ち駒使用の可能性についての記述については、立論の厳密さにおいて本論に及ばず、あまり説得的ではない(評者自身は①の説明は賛同しがたい)。この部分は著者のさらなる研究が待たれる。

著者松岡氏の説(将棋は他国から伝来したのではなく「玄怪録」に記述された内容をもとに日本で独自に創作された)が果たして、決定的な説かどうか、評者には断言できない。しかし、広範な資料の分析と論理に基づいた松岡氏の説は中国伝来説や南方伝来説よりも強い説得力を有し、より有力と考えられる。
今後、将棋の成立について議論する際には、本書は必ず言及・参照すべき一冊になったことは間違いないであろう。
(了)